亀山 仁 氏

ミャンマーをテーマにした作品を多数発表する写真家の亀山仁さんも、MIAO正会員の一人です。
写真を通じてミャンマーとの交流を深め、民主化運動にも携わってきた経緯をお聞きしました。

Interview of MIAO Vol. 6
写真家
亀山 仁 氏 

ミャンマー人の間にある「分断」に危惧
日本政府には二度と軍政を承認しないよう求める

 

インレー湖で撮影した男性。後にクーデターによる混乱の中、新型コロナに罹患し亡くなった。
また、彼の娘の友人はデモ中に命を落としている

 2005年、当時お世話になっていた写真家が企画した、ミャンマー撮影ツアーに参加しました。それが、私がこの国をテーマに写真を撮るようになったきっかけです。それ以降、信心深く穏やかな人々や、彼らが営む暮らし、そして美しい風景などを多数撮影してきました。09年からは日本国内で写真展を開催したり、冬青社からミャンマーの写真集『Thanaka』や『Myanmar2005-2017』を発表したりし、写真家としてのキャリアを積み重ねてきました。12年頃からはミャンマーへの恩返しがしたいと思い、同国で活動するNPOなどに参加し、さまざまな支援活動を行ってきました。

 21年2月のクーデターは、国民から多くのものを奪い取りました。撮影を通じて知り合った方にも大きな被害が出ています。07年にインレー湖近くで、あるご家族を撮影し、以降も交流を続けていたのですが、クーデター後に音信不通になりました。しばらくしてようやく娘さんと連絡がとれると、被写体になってくれた彼女の父親が新型コロナで亡くなっていたことがわかりました。元々、十分な医療がある地域ではありませんでしたが、混乱の中で医療用酸素すら用意できなかったそうです。クーデターがなければ医療を受けられて助かったかもしれないし、最悪でも苦しみが少なくすんだかもしれない。そう考えると、やりきれなさと、軍に対する強い怒りが湧いてきます。

 クーデター当初、民主化を望むミャンマーの若者たちが、ITを駆使して世界に訴える姿に大きな希望を感じていました。しかし、それから1年半ほどが経過し、ミャンマーの人々の中に若干の温度差を感じることもあります。さまざまな立場や理由の違いによる彼らの「分断」が心配です。また、若者が武力抵抗に立ち上がらざるを得なくなっても、国際社会は口先で人権擁護を叫ぶばかりで、現実的に何もできていないという無力感を感じることもあります。民主化に向けて民族や宗教を超えて国民が一丸となり、国際社会がそれを強力に後押しするようにならなければいけません。

 MIAOの正会員になったきっかけは、「人道支援」と「民主化支援」の二本柱で活動していくという理念に賛同したからです。まず、明日の食べ物にも困るミャンマーの人々への人道支援。それと並行し、21年6月に衆参両院で採択されたクーデター非難決議に沿った外交を行うよう、日本政府に要請していくなどの民主化支援を行うべきです。

 1988年のクーデター時、日本政府は世界に先駆けて軍政を承認した歴史があります。二度とそれを繰り返さないよう、私もMIAO正会員として訴えていきたいと考えます。

亀山 仁  [Hitoshi Kameyama]

1966年東京都生まれ。写真家。一般社団法人 ミャンマー祭り理事、日本写真協会会員。2005年からミャンマーの人々やその暮らしをテーマにした写真を多数発表。写真集に『Myanmar2005-2017』(冬青社)、日本図書館協会推薦図書の『Thanaka』(同)がある。また、『ミャンマーの人々と戦禍の記憶』(ポートレートギャラリー、2022年5月)など、写真展も多数開催している。